こんにちは。突然の寒さにやられて、少し熱っぽい矢田です。このブログを読んでくださっている方もどうかお気を付けください。
今回は、賀茂とうふ 近喜の歴史について、書いてみました。
今年で182歳になります
賀茂とうふ 近喜は1834年創業と伝えられています。元号では、天保(てんぽう)5年。
調べてみると、新選組の局長、近藤 勇が生まれた年のようです。
そんな幕末のころに、弱冠20歳の若さで、滋賀県浅井郡から京都へやってきた近江屋 喜八は「湯葉喜(ゆばき)」を始めます。
のちの「賀茂とうふ 近喜」です。
当店は京都で二番目に古い、と聞いています。
二番目というあたり、「自由に新しいことを始める次男坊」のようなイメージがして、私は好きです。
ちなみに、一番歴史があるのは京都御所の西あたりの「入山豆腐店」さんで、1829(文政12)年の創業、とのことです。
三代目から豆腐作りが始まりました
三代目が先々代・先代の資産を食いつぶす話はよくありますが、当店は三代目がいろいろ新しいことを始めます。明治の終わりから大正の初めころのことです。
まず店の名前を「近喜」に変えます。初代の「近(江屋)喜(八)」からとったものです。
豆腐作りも、このときに始まります。
日本ではまだ珍しい発動機つきの石臼を取り入れて大豆を摺っていた、という話も残っています。
新しいことをいろいろ試してみる姿勢は、今の「賀茂とうふ 近喜」にも受け継がれていると思います。
それぞれの代で、
現在の六代目 林 浩二は、「国産丸大豆そのものが持つ甘みを味わうことができる豆腐・揚げを作る」ことにこだわりました。それこそ「本物(ほんもん)」だと。六代目になって始めたことです。
(大豆のこだわりについては、「大豆のこだわり その1」と「大豆のこだわり その2」
をご覧ください)
(六代目です。今では百貨店催事の売場に立つことが多いです)
家訓や商売心得のようなものが残っているわけでは、特にありません。
そのことを女将は「『自分が喜んで楽しんで、お客様にも喜んでいただく』ということを自分なりに尽くせと、無言で教えているんちゃうか」と言います。
敢えて言えば、それぞれの代が「いいと思うこと」を積み重ねて伝統を作り続けていく、ということではないでしょうか。
(こう書いていくと自分がすごくカッコいいことを書いているような気になりますが、私自身はすごくありません。念のため。)
(女将です。西木屋町店でひたすらお揚げを揚げています)
京都御所の梅はまだつぼみでした
いつものように突然話が変わりますが、先週土曜の雨の日に京都御所を散策しました。
梅はまだつぼみかな、といったところ。
雨露に濡れた枝がキラキラしていて、とてもきれいでした。