湯葉(ゆば)とは、角形の木枠をはめた平鍋に豆乳を入れて弱火で加熱しながら濃縮していくと、空気の触れた表面に薄い膜ができ、この膜を長い割竹で静かに引き上げ、水切りしたものです。生湯葉もしくは引き上げ湯葉と言われています。ここでいう豆乳は大豆を水に浸して柔らかくし、どろどろにすって加熱し木綿袋でこして作ったものです。この工程を複数回繰り返して湯葉を作る事ができますが、最初に引き上げたものが上等品とされています。
湯葉は、植物性たんぱく質の他脂質、カルシウムなども多く含み、消化吸収に優れた食品です。肉を使わない精進料理にとって豆腐と同様、欠かせないものとなりました。「湯葉(ゆば)」の名前の由来としては皮膜の色やしわが老婆のしわに似ていることから「うば(姥)」と呼ばれ始め、その後発音が転じ湯葉に至ったという説があります。種類は様々ありますが、生ゆばをとる一段階前にとる湯葉をつまみ湯葉と呼び、生湯葉の中でも最上級のものとされています。生湯葉は一日しか持たないので、その欠点を補うべく保存用に乾燥させたものを乾燥湯葉といいます。乾燥湯葉は長くて3ヶ月程保存が効くとされています。
食べ方としては、乾燥湯葉はお湯で戻して、生湯葉はそのままのものを、汁にポン酢やワサビ醤油などをかけて食べる、鍋や味噌汁に入れる、エビや魚などを包んで揚げる等様々な方法で食すことができます。
湯葉の時代背景は明らかではありませんが、13世紀の禅宗の伝来に伴いお茶と同時期に中国から伝えられたとされています。ですので、鎌倉時代に肉や魚を使わない精進料理の食材として重宝されていたと紹介している事典もあります。日本に残された文献における湯葉の登場はいつ頃だったのでしょうか。川上行藏氏の『つれづれ日本食物史 第三巻』によると、豊臣秀吉の桃山時代に奈良の茶人によって書かれた『松屋(久政)茶会記』(天正15年1587年)における記載が最古のものとされています。この文献では湯葉は「うば」と記載されており、茶懐石料理として扱われています。
ただ、松屋が食した「うば」がどこからどのように入手したものであったのかについての説明は残念ながらその本の中にはなく、茶人の松屋一家は裕福な奈良の商家という記録があるのみです。なので「うば」を料理番に作らせたのか、それとも寺院を対象に売っていたお店から入手したのかはっきりとはわかりません。ですが、15世紀の室町時代の中期に書かれたとされている『七十一番職人尽歌合』に宇治や奈良で作られた豆腐が京都で売られている当時の様子が記録されていますので、寺院を対象に豆腐を売るお店が湯葉を作って売っていても不思議ではないでしょう。
「うば」が『松屋(久政)茶会記』で登場した後、茶人で有名な千利休の著した『利休百会記』(天正18年1590年)にも「豆腐のうば」としての記載が確認され、その後江戸時代初期から段々と料理の献立集などに登場するようになります。江戸時代のベストセラー『豆腐百珍』(天明2年1782年)のシリーズにも湯葉料理は登場します。この頃には僧侶や茶人だけでなく庶民に広まっていった事がわかります。湯葉は中国から精進料理として伝わり茶懐石料理を経て庶民に広まっていったようです。
【当店の湯葉】